10/19
女夫渕温泉12:15・・・・13:05コザ池の滝・・・・13:54加仁湯・・・・14:10日光澤温泉(泊)
10/20
日光澤温泉04:47・・・・05:43オロオソロシの滝・・・・07:25鬼怒沼・・・・07:39鬼怒沼巡視小屋・・・・11:30黒岩山分岐・・・・13:08赤安山・・・・14:50奥鬼怒・小淵沢田代・大清水 分岐・・・・15:16小淵沢田代・・・・16:12長蔵小屋(泊)
10/21
長蔵小屋04:49・・・・05:45沼尻平・・・・08:53俎嵓・・・・10:29熊沢田代・・・・11:27広沢田代・・・・12:25御池田代・・・・12:36御池登山口
燧ヶ岳~尾瀬御池
寝静まった宿の階段を降りてそっと玄関に出た。靴を履こうとしているとき、何かの物音にぎくっとした。昨日は気づかなかったが土間に寝床があって犬が見送りに現れたのだった。種類は知らないが人気の看板犬だとは後で知った。とても人なつこいそうだ。深夜に鳴き声が聞こえたが、獣でも通ったのだろうか。ひとしきり吠えていた。 ひんやりした夜気の中へ出て後ろ手に戸を閉め、ライトを消すと山に囲まれた星空に月が出ていた。好天に恵まれたようだ。あと一時間もしたら明るくなってくるだろう。 鬼怒沼への上りで鈴の音が聞こえ、やがて二人組が登ってきた。宿のおにぎりを食べている私に「早いですね」と挨拶しながら通っていった。山なれた様子で、黒岩山へ行こうと思うが、道がわからなかったら林道へ降りて帰るといっていた。鬼怒沼にむかうころ、足下が明るくなり始めた。熊が好む時間帯なので、鈴も持っていないし、「用心していこう」。ホイッスルはすぐ出せるようにしてと確認する。 鬼怒沼山から黒岩山へ向かうと、道は倒木と堆積した落ち葉や藪のせいで不明瞭になる。私と前後して歩いていた先ほどの二人組は途中で引き返していったようだ。地図にのっている登山道は太い倒木が折り重なる、なかなかの難路で、地図、コンパスとGPSがなければ自分も引き返しただろうと思う。ルートをそれるたび「下りすぎかな」「ここはあそこの小尾根を上がる」「あの小ピークは右寄りにトラバース」などなど、地図読みの基本をおさらいしながら進んで、黒岩山の分岐に出たときは「ああ、やれやれ」だった。かなりの時間がかかったので、この先の距離の長さを考えると「明るいうちに小淵沢田代へ着けるだろうか」少し不安になってきた。今までの廃道もどきの来し方を思うと無理も無かったが、これは杞憂だった。 分岐から先は全くの様変わりで、山の様子は一変した。「管理、管轄の違いなのか」「栃木県と福島県の違いか」「尾瀬に近づいたのか」よくわからないが、くっきり、きっぱりと明瞭な踏み跡が現れたのだった。 赤安山から小淵沢田代、そこから長蔵小屋まで、明るい森と笹の道をゆっくりと歩く。ぽこぽこ、ぽこぽこ。傾きだした陽をあびながらたどるのはとても気持ちが良い。 長蔵小屋に泊まるのは実は二回目である。一回目は真冬に来たときである。ちょうど小屋の人たちが屋根の雪下ろしに来ていたところに、テント場を決めようとしていた私たち二人が通りかかったわけである。泊まっていかないかと誘われたので、ご好意に甘えたといういきさつがあった。こたつが暖かくてありがたかったことが思い出される。 二泊目の長蔵小屋は相部屋だったので、翌朝は物音を立てないように身支度し、玄関を出た。山が黒く沈んでいる、上空には昨日と同じように星空が広がり、下弦の三日月があった。尾瀬沼をぐるっと回り込んで沼尻から燧岳の登路に向かうあたりで空が白んできた。 ナデッ窪のなかを、それほど寒くは無いのに、なぜか暖かい日差しを受けたいと思いながら登り続けていた。尾瀬沼が眼下に広がってきた。急登が終わったところの、分岐の手前に灌木混じりの草原がある。いっぱいの日差しを受けていて、ちょうど果樹園を思わせるおだやかな起伏を見せていた。 手足を投げ出し、だらしなく伸びたまま宿の握り飯を食べた。ボロボロで食べにくいので、かまずに水で流し込んだ。ついでのこと、朝の日差しの心地よさにうとうとする。山頂からはきのう来た鬼怒沼山や黒岩山、赤安山が見分けられた。下る先の熊沢田代までのびやかな山肌があかるく秋の色に染まっていた。 広沢田代で二時間ほど昼寝したことがある。初夏の風がワタスゲの群落をゆらしていた。とおり雨がきても帽子を顔にかけてやり過ごす。良い時間だった。これからもそんな山歩きをやっていきたい。