八ヶ岳(赤岳主稜)

【縄文の女神】

杉澤さんから嬉しいメールが来ました。
「・・・11、12日で雪のあるところでテント張ろうかと思っています。八ヶ岳、赤岳鉱泉でも。」
返信しました。
「1時過ぎから3時までアラジンでクライミング。4時ごろから・・・ミニ新年会です。来ませんか?11から12日八ヶ岳良いですね付き合いましょうか?」
「・・・前田さんが行くなら中山尾根?かな?」彼から返事が来ます。わくわくしてきました。冬の岩登り。一面に雪をまとった岩峰。寒気と強い西風。ザイルが宙に弧をかく。まどろっこしくなって電話に切り替えました。
「アラジンで打ち合わせよう。鶴見に着いたら電話して。時間に行って待ってるから」
「じゃあ、仕事は午前中だから、終わったら行くよ」と、話は決まったものの、簡単にはいかない。
鶴見に着いたのは昼過ぎ。駅のコーヒー店から電話した(スターバックスだったかな、いや違う名前だったかな、よくわからん)とにかく電話した。
「今どこ?」
「だめ。全然終わらない。あと3時間以上かかる」仕事が予想の他多すぎて、見込み通りには終わらないらしい。新年早々大変なことだ。ご苦労様です。
かようないきさつで、彼は、もちろんクライミングには間に合わず、新年会にも一人遅れて合流するということになった。
さて、そのミニ新年会。
新子安の『弥平』には現役とOBの8人が集まりました。新年会ですからまともに打ち合わせなどしていられません。
まず先に着いた元ちゃんと私の二人で乾杯。続いて来た4人と開宴です。あとの二人?。待ってなぞいるものですか。最初に一人、もう一度一人と、ちょうど良い調子になった前田がグラスを置いて駅まで迎えに行きました。8人揃って話は飛び交い、座席は入り乱れます。言ったようにまともな打ち合わせなどできるわけもありません。
杉澤さんに「テント、そっちのを持ってきてくれる?」「いいよ」「こっちはザイルをもっていくよ」「ああ」「食糧は各自で」「うん」
もう一度念を押す。自分の胸に手を当てて「ザイル」彼にむかって「テント・・・いい?」彼はうなずき返す。「横浜7時だっけ?。計画書はメールで送っておくよ」「ああ」と首を縦に振る
打ち合わせはこれで終わり。みんなで楽しく飲み。アルコールの勢いを借りた今年の夢を語り合い、そして早めに散会となりました。

【この橋を渡ると赤岳鉱泉への山道】

入山の日。1月11日。
美濃戸口から歩き出し赤岳鉱泉に着くまで雪道で凍結もあったがアイゼン無しでとおした。
赤岳鉱泉のテントサイトは1月の連休とあってずいぶんと賑わっていた。小屋近く、うまく探すことのできた場所にテントを設営。

【小屋前のテントサイト】

中に潜り込みコンロに火を付けると、たちまち天国の暖かさ。このまま眠ってしまいたくもあるが、山のすがたを見たくもある。水も、そして何より飲み物が必要だ。下にシートを敷き、荷を中に入れて整理し外に出る。
天気は上々。大同心が正面にまぶしく立ち、右手の阿弥陀岳は真っ白く雪のひだを見せ、午後の日差しをあびて神々しい。日が陰りを見せる頃合い。上空に薄い雲が現れてきた。天気の崩れが予兆を見せてきたようです。さてどうするか、明日からの予定を検討することとしました。
12日の予報は晴れのち曇り。昼頃から西南西の風10mで霧から雪。-10℃。
13日は朝から雪。昼頃から霧。風は西北西に変わり13m。夕方から晴れ。-12℃
結論は12日。
似たような条件なので12日の昼頃までに主要部を抜けるのが一番良いだろう。こう決める。赤岳主稜は西風をまともに受ける頂稜にあり、風はたぶん最大20mにはなるだろうから風でバランスを崩さないよう。また凍傷にならないよう気を遣う必要がある。

【テント場からは阿弥陀岳が見える】

起きたのは何時頃だったか忘れた。出発時間もそう。必要な時間に起き出発した。
ヘッドライトを点けてテントを出る。おぼろ月が上空にある。まだ天気はもっているようだ。暗闇の中山乗越では展望台へ行く人もあった。中山尾根はバリエーションルートなので、そちらにはロープが張ってある。乗越を過ぎるとまもなく行者小屋に着く。小屋の横を通り過ぎて樹林に入るころ闇がほんのり白んできた。分岐では文三郎道に入る。森林限界にかかる頃、あたりが明るくなってきた。夜明けだ。文三郎道が大きく右に屈曲するあたりまで来ると、左へ主稜取り付きへのトラバース地点が現れる。ちょうどそのとき、全身に雪をまとった阿弥陀岳がすごい色に染まり始めていた。天気が崩れ始めたときの赤色なのだろうか。見とれていてカメラを出すのが遅れてしまった。

【中岳・阿弥陀岳】

主稜は人気ルートなので3月に来たときは先行パーティの人たちがいた。今日は1月の3連休というのに私たちが一番乗り。赤岳沢上部ルンゼの雪壁を横断していると、一組だけ、4人の後続パーティがついてきた。
私はここで準備中、うっかりミスをやってしまいました。
ザイルを出していたとき、ピッケルがカランカランと落ちていった、「ああっ」と思った瞬間、10mほど下で雪に刺さり止まってくれた。元ちゃんから受け継いだピッケル、氷用にカーブがきつく、尖っていたので止まってくれた。思わず一声「ラッキー」。大事にしなきゃ。
しっかりビレイしてから杉澤さんに取りに行ってもらう。懸垂下降するほどの傾斜でもないので、肩がらみでザイルを伸ばし、降りて回収してもらった。
慎重に。用心、用心。

【天気が崩れだした】

このルートは最初のチムニーが核心。氷が張り雪が積もっているので、良いホールドをつかんだら、なかば仰向けの感じで乗り越える。そこを過ぎたら簡単か。というと、そうはいかない。頂上直下まで400mぐらいはザイル操作が必要。3月に来たときは容易だった所も氷と雪のおかげでちょっと手こずらされる。それに風だ。雪も混じりだして皮膚を刺す。
最初の30mでピッチを切り、杉澤さんを待っていたら、後続の4人組がルンゼをトラバースして帰って行くのが見えた。杉澤さんの話。「ここ来たことありますか」聞かれ「二回目だけど」「・・・初めてです」
どうやら今日は自分たちだけらしい。

【阿弥陀岳・左の遠くに富士パノラマスキー場】

【風が強まってきた。睫毛につららができる】

リッジをたどり、雪壁で雪をこぎ、登り続けた。吹きつける雪でまつげにつららが成長する。ガスに覆われて視界が悪くなり、風にあおられてよろけながら頂上にたどりついた。「文三郎を降りよう」と杉澤さん。これから横岳、そして硫黄岳まで行くには、たいした根性がいる。私はいちもにもなく賛成する。瞬間、頭に浮かぶのは「あったかなテントと熱燗」。
文三郎道を降りるといっても、これとて容易なものとはいえない。ガスで回りが見えない。ルートがはっきりしない。風と雪のせいで先行者の踏み跡が消える。コンパスを取り出し、最初は西。150m降りたあたりで北西の方向と見当を付けようとしていたら相棒が縦走路の目印を見つけてくれた。ほっとする。赤岳の頂上付近は迷いやすい地形だし、だいたいペンキ印は全部隠れている。なかなかしびれる。
阿弥陀岳への分岐から文三郎道に入ると、標高も下がって視界が開け、やがて今朝取り付いたチムニーが見えてきた。ときどき落ちる雪が渦を巻いて吹き流されてゆく。寒々とした光景に首をすくめる。早く暖かいテントに戻ろう。

【あと2ピッチぐらいか】

【基部のトラバース】

【あと100メートルぐらい】

もどって、まずは。飲み物の買い出しに赤岳鉱泉へ。で・・・ついでに聞いた。
「軽食喫茶と書いてありますけど、中、利用してよろしいでしょうか」受付曰く「売店で先に買ってからなら・・・4時まで・・・」むっとする。やめるか?でも、相棒は暖かいところで飲もうというし、今1時半すぎだから時間もある。
「先に買ってから」なんて言うか?と思いながらも「はい、そうします」と、私は素直だ。
上がり込むと彼はビール、私は一合びんで「お疲れ様」「おもしろかったな」「冬は一段難しくなるな」「ずうっとザイルがいるとは思わなかった」そして最後となった斉藤さんとのこの小屋で過ごしたときのこと。雪稜会の正月合宿も懐かしく思い出される。
明日はゆっくり帰ろう。テントに帰り昨日の残りの濁り酒。最後にしみじみと口に含んで就寝。

【テントに帰った】

【大事な濁り酒。慎重に暖める】

【美濃戸山荘。うまいモツ煮込みで一杯。煮込みおかわりでもう一杯。なかなか火のそばから離れようとしない】

【八ヶ岳山荘には風呂がある。時間があれば湯につかろう。一本早いバスに乗ろうと、息を切らしていそぐひともあるが、こちらはのんびりしたもので、二時間後の便を利用する】

冬の山は格別。今年も来ることが出来て良かった。私も若くない。それでも、あと10回。いやもう少し多く来ることができるだろう。そのためには(いつも、そしてちょっとだけ)無理をしなければなるまい。背伸びといってもいい。そのような気持を持ち続けたいと思います。

【絵になる】・・・・・【ならないか!】

 

恵那山

 

11月4日 横浜⇒飯田⇒こまんば⇒野熊の庄 散策
 8:00発のベイブリッジ号に乗り、飯田駅へ。路線バスで「こまんば」まで行き、宿の送迎により13:50、野熊の庄に到着。付近を散策。秋の山里を気持ちよく歩く。途中、古民家風の「五へいもちカフェ」により、美味しい五平餅とコーヒーを、前田さんにご馳走していただいた。宿に戻って温泉に入り、美味しい夕食で前祝い。食事は、コース料理のように、出来立てを次々と運んでくれた。明日の山行、今年の山行を振り返り、話題は尽きず、楽しい一時を過ごした。明日に備え、早めに就寝した。

 11月5日 野熊の庄⇒登山口→4合目→山頂→4合目→登山口⇒野熊の庄⇒伊賀良⇒横浜


 5:30宿を出発。外気2℃、好天を予感させる満天の星空(阿智村は、日本一の星空をうたい、星空ツアーなども行っている)。駐車場に着いたときは、まだ薄暗かったが、登山口に着く頃には、明るくなった。登山口(1,266m)から少し下り、本谷川にかかる木橋を渡る。昨年、流されて、登山を諦めた要因の橋だ。澄んだ流れを見ながら、感慨深く渡った。林床に笹原が広がり、木の間隔が広く、明るい樹林帯の中、石がゴロゴロした急坂をジグザグに登る。いきなり急登だ。30分ほど登り、休憩を兼ねた朝食にする。エネルギーを補充し、さらに急坂を40分ほど登る。
 8:00、4合目(1716m地点)に着く。なだらかな上りになり、黄金色に色づいたカラマツや白いダケカンバを愛でる余裕も出た。登山道には、3~7cm位の霜柱が立っていた。稜線を登り、木々の合間に展望が得られようになった。伊那谷をはさんだ東側に、長大な南アルプスが見えた時は、歓声があがった。白く雪をかぶった北岳、間ノ岳、今年登った荒川岳、赤石岳、聖岳、光岳、北側には中央アルプスの山々、山行の話題で盛り上がり、休憩を取りすぎてしまった。唯一のロープ場を過ぎると、再び急坂になる。
 9:40、8合目を過ぎると、緩やかな登りになり、2000m付近の開けた所では、駒ヶ岳、仙丈岳も確認できた。中央アルプスと南アルプスの間に八ヶ岳。北の方には、北アルプスの奥穂高、前穂高。北西には、噴煙をあげるどっしりした独立峰の御嶽山、その横に、優美な稜線を広げる乗鞍岳、前を見て、横を見て、次々に歓声があがり、山行の話題で盛り上がる。

白峰三山・塩見岳・赤石岳・荒川三山・聖岳・上河内岳

 芳賀さん、前田さんの「Peak Finder」が大活躍。

左から塩見岳・荒川三山・赤石岳・聖岳・上河内岳・光岳     ここには写っていないが御岳・乗鞍・抜戸・奥穂・前穂。中央アルプス空木岳・八ヶ岳などが遠望できた

北岳→間ノ岳→農鳥岳

左端から聖岳・上河内岳・中央から右へ光岳・池口岳

 ここから、西に曲り、山頂に続く尾根に向かう。9合目からは、山頂直下の急登があり、石ゴロの急坂を登った。
 10:15、息を切らして登っていくと、一等三角点のある山頂(2191m)についた。展望台もあるが、針葉樹林におおわれ、展望は得られない。恵那山2191mと指標が立っているが、ここは、2190m。山頂は広く、この先に最高点(2191m)があるので、恵那山神社奥宮から、山頂避難小屋へと進んだ。小屋の後ろにある岩場の先に最高点があるらしい。岩場に登ると、黄色、黄金色、赤、緑に彩られた山々の後ろに、南アルプスの峰々が広がり、その絶景に見とれた。眺望を楽しんだ後、岩場の先の最高点を踏み、避難小屋前の広場に戻った。
 広場で昼食にした。温かい陽だまりで、美味しいお菓子やコーヒーをいただき、話も弾んだ。


 11:50、避難小屋出発。山頂に戻り、往路を下りる。2000m付近まで一気に下り、また、しばし大展望を楽しんだ。日差しの加減か、雪をかぶった北岳、間ノ岳が輝いて見える。「また、話が振り出しにもどってる」、話は尽きず、休憩時間が長くなってしまった。
 13:10、4合目。ダケカンバ林を抜け、1710m地点に着いた。宿に送迎を依頼し、カラマツ林の中を下りる。陽に映えて、カエデがオレンジ色に輝く。下山時は、周りの景色を楽しむ余裕がある。往路を戻るのは単調だが、山の美しさを再発見することができるなと思った。
 

14:00、登山口に戻った。色づいた山々を眺め、名残を惜しみながら、峰越林道を歩いた。
 14:30、送迎車に乗り、宿に戻った。伊賀良まで送ってもらい、お土産などを買い込み、帰りのベイブリッジ号に乗った。 渋滞もなく、21:00、横浜に着き、各自帰路についた。
  昨年、残念した恵那山だったが、紅葉の美しい、この時期に来ることができて、楽しい山行になった。歩く時間は、コースタイムより若干早かったが、休憩が長すぎたため、予定通りの時間になった。 恵那山は、岐阜県中津川市と長野県阿智村との境界上の山。美濃の最高峰だ。山容が船を伏せたような形から、「船伏山」とも呼ばれ、古くは、伊勢湾を航行する船の目標となっていた。天照大神が降臨した折りに、その胞衣(えな)を納めたという伝説が残っており、山名の由来となっている。江戸時代より、修験者が礼拝に訪れ、恵那神社で禊ぎをしてから登山を行っていた。明治以降、登山道が整備されて「恵那講」が流行り、白装束を着た参拝者も多く訪れるようになった。恵那山神社奥宮には、7つの社が置かれている。

 (記録・写真 一之瀬)
 日時:2019年11月4日(月)~5日(火)
 4日 横浜駅8:00=飯田12:20=こまんば13:35=月川温泉野熊の庄13:50(泊)
 5日 野熊の庄5:30=駐車場5:55-登山口6:25-4合目8:00-山頂10:15-最高地点10:35(昼食・休憩)11:50-山頂12:00-4合目13:10-登山口14:00-駐車場14:30=野熊の庄15:30=伊賀良16:36=横浜21:00

三ツ峠(屏風岩)

 


 『おはようございます』翌朝、挨拶を交わした『その人』は仕事用の厳しい表情で現れた。
 四輪駆動車の運転席から「それじゃ」「お元気で」その人はシートの下の資材を荷台に積み込む。私たちは岩場へ向かう。一日の始まりだ。
 三ツ峠山荘は少し古びた、ぱっとしない、外観にどこという特徴のない小屋だ。数十人が泊まったら一杯だろう。テーブルとベンチが置かれた空地の向こうに入口がある。引き戸をあけると土間があり、ストーブがあり、脇にテーブルがあって、椅子に四人、作業服の人が掛けていた。
「今日は何人ぐらい?」『その人』が小屋番の人に聞いている。
 「14人・・・・」
 宿泊者の人数を聞くやりとりか。
 「今日は・・・・大勢・・・・」
 よく聞いていなかったが混雑していないらしく安堵した。
 「前田です。電話した」
 「相部屋ですけど」
 「お願いします」
 上がりがまちに座卓がありストーブがあり、向こうが食事室らしく、また座卓が五つ六つ並んでいる。部屋数が11室ということだからこぢんまりしている。
 おととい、近くの、もう一軒ある200人収容という小屋に問い合わせたとき「すみません満室です。団体さんが入って・・・・」と断られ、三ツ峠山荘に電話したのがよかった。食事の行列、団体さんの飛び交う指示。大きな小屋は落ち着かないし、こっちもなにかと気を遣うので避けたいところだった。
 といって荷を解くには早すぎる。日はまだ高く暖かい。小屋番らしき人に後で来ることを告げて外に出た。
 「ひとのぼりしにいこうか」
 「うん」
 ということで、ザックを担いだまま小屋を出た。午後の日差しを受けた富士山がもやった裾野から逆光の山頂まで、けだるげに見えている。どーんと大きい。
 そこから岩場へ向かうには小屋の横を通り、三匹の犬に吠えつかれながら、屏風岩へ続く鉄板の階段を降りていく。どんどん降りていく。ひとしきり降りると、まだ葉を落とさない樹林の垣間に岩が見えてくる。岩壁に人が見える。二人や三人じゃない。近づくにつれはっきりしてきた。大賑わいだ。
 おどろいた。
 岩登り講習会らしいのが何グループか来て、講師役のレクチャーを受けている。クラブのロゴを付けたシャツの東京農大、アイゼンを穿いてカチャカチャと歩き回る一団。岩に爪を立てきしませている。その他いくつものグループが入り乱れて喧しい。主なルートはザイルが垂れ下がっていたり人が登っていたりと、たいてい先客がある。
 「どこもあいてないなあ」
 しばらくぼうっと見物していたら『地蔵ルート』が空いた。
 「ここにしようか」
 「ああ」私たちはいつも言葉少なだ。
 ザイルをザックから出し登攀用具を用意した。ハーネスを付けザイルを結ぶ。久しぶりなので結び方や用具を点検し、使い方をおさらいする。あいまいなままやって間違えると命に関わるからだ。慎重に確認したところでクライミングを開始する。トップは杉澤さん。
 「ここは出だしが超えにくいんだよなあ」
 などといいながらも彼はするりと通過する。
 途中でトップを交代し第三バンドを超えたあたりに来たところ、行く手に別パーティの人たちが何人か固まっている。そのうち次の人が懸垂下降で降りてきた。その人たちが終わるまで待っているつもりで聞くと、天狗の踊場には他にも下降の順番待ちがいるという。ええ?
 「あと10人以上いますよ」
 「時間かかると思いますよ」口々にいう。
 そんなに待ってもいられないし、日も陰ってくる。
 「今日は終わりにしよう」ということにした。他の人たちは引き上げ始めた。私たちもザイルをたたみ登攀用具をかきあつめザックにねじ込んで小屋へ向かった。
 犬小屋のところで脇道に逸れる。
 「むこうへ行ってみないか?」
 「ああ」
 夕日があたりを染めはじた。あまり気持ちがよいので小屋の裏手、小高いところまで登ってみた。ススキの穂が風を受け、夕日を透かして輝いていた。背景は富士山。さっきまで登っていた屏風岩が夕日を照り返す様をしばらく眺めてから宿へ行った。
 相部屋と聞いていた部屋に同宿者はいなかった。ストーブ脇の座卓に座を占め、夕食までの一時、のどを潤すことにした。
 「つまみありませんか」と聞く。
「 ひとつ300円です」といってさまざまな袋菓子やスナック、チョコレートなどの入った段ボール箱を出してきたのには意表を突かれた。ストーブに寄ってきた上州からの相客と話をしながら飲む。そのうち夕食が並べられ、そちらへ移った。
 向かって左の座卓は作業服の人たち4人、こちらの座卓は前田・杉澤・同室の人の3人、右は上州からの二人、その奥3人組、そしてその奥に二人。やはり全部で14人。食事がほぼ終わった頃合いに、仕事で泊まり込んでいる四人組の一人が、他の客から食べ残しのおかずをもらっている。外にいる甲斐犬の餌をあつめているようである。
 『その人』は何かいうたびに「うん」「うん」と付け加えるのでどうも気になる「これ、もうたべない?・・・・うん」「もらうね・・・・」「犬が喜ぶ・・・・うん」といった調子なのである。席に戻ると、一人、焼酎らしきものを愛用のステンレスカップでちびちびやっている。
 みると、顎の下にご飯粒をくっつけている。
 「ここ、ついてますよ」自分の顎を指し教えてやる。
 「これ違うよ、ペンキ・・・・うん」と言う「取れないの・・・・うん」
 そうか、軍事用の電波塔があったな。防衛省の設備メンテで来ているらしい。どこから来ているか聞くと「石狩市から」だった。私も北海道から12歳の時に出てきたので親近感がわく。「ぼくは稚内です」と話しかけた。年は「72」という。私より3つ若い。「もう少し働いたら石狩に帰って畑をやるの。女房と二人で・・・・うん」二番目の連れ合いらしいその人が待つという「畑は150坪」「小さいけど自分の家だし・・・・」焼酎を口に運ぶ「うん」
 こちらの事情も話す「15で就職しましてね・・・・会社の寮にはいったんです」「定時制の山岳部で冬山を始め
たんです」「今年、40年やった会社をたんで引退しました」
仕事の話も面白い
 「ここのところ、いい天気でよかったですね」
 「いや、大変なの。霜が溶けてぬれるから、・・・・うん。全部拭かないと塗れないの」「手が冷たくて」「軍手は使えないの。すぐ濡れちゃうから、素手でウエスを使うんよ」
 「ここが終わったら石狩に帰るんですか」
 「いや、この後は近畿・・・・うん」
 「でも、帰る楽しみがあるからいいですね。待ってる人もいるし」
 「石狩に帰ったら畑づくりか、いいですね」
 『その人』は一杯の焼酎をなめるように味わうように飲みながら語り続けていた。
頃合いをみて私たちは部屋にひきあげた。
 こたつを脇にどけ布団を敷くときになっても相部屋の人来ない。食事をすませ、先に引きあげてどこへ行ったのか。そもそも荷物がない。とうとう朝まで部屋へは現れなかった。

 二日目、晴れわたった空。山頂に雪を乗せた富士山が陰影くっきり裾をのばし、優美な曲線を麓の街まで引いている。右手から伸びる尾根の紅葉が朝日に染まる。
 三ツ峠へ来ることはあっても山小屋へ泊まるのは初めてなのだが、小屋の居心地良さといい、風景の素晴らしさといい、クライミングの楽しみといい、何度来ても良いと思った。
 岩登りの楽しみは、昨日に続いての屏風岩。日曜日なので今日も主だったところには先客がいた。どこか探さなければと端から見ていくなかでは、昨日の『地蔵ルート』の隣、『観音ルート』が空いていた。
 良いルートなのでそこにきめ、同じ所を4回、登ったり降りたりを繰り返して過ごし、午後、いい頃合いに帰路についた。
 ジムのホールドとは違う感触。堅い岩の手触りが指先に残っていた。冷えたハイボールのアルミ缶がひりひりする指先に心地よかった。

参加者:前田享 杉澤(OB)
コースタイム:【11/9】横浜07:02→河口湖09:50→三ツ峠登山口10:15~三ツ峠山荘
【11/10】三ツ峠山荘~屏風岩14:20~三つ峠駅16:30~横浜